あはれと思へ み吉野の花
「何となく春になりぬと聞く日より 心にかかるみ吉野の花」(西行法師)
「越えぬ間は吉野の山の桜花 人づてにのみ聞きわたるかな」(紀貫之)
というわけで、ずっと気になっていた吉野山に桜を見に行ってきました。
吉野山へ
近鉄で2時間、さらにバスを2つ乗り継いで山頂へ。そこからひたすら歩いて下山しました。奥千本、上千本、中千本、下千本とそれぞれ満開の時期が違うのですが、今年は急に咲いたのでほぼ全てが満開になるというとても良いコンディション。
京都市内の桜は一気に開花して一気に散ってしまい、「今年はどこも行ってない!どうしよう!!!」と思っていたので、こちらはまだ咲いていて助かりました。ありがとう吉野山。藤原俊成の和歌みたいな感じになりました。
「いくとせの春に心をつくし来ぬ あはれと思へみ吉野の花」(藤原俊成)
(春が来るたびに、咲いたか散ったかと気を揉んできた。そんな私を愛しく思ってください、吉野山の桜よ。)
吉水神社の一目千本からは奥千本、上千本、中千本、下千本が全て見渡せます。
哲学の道も行きました
琵琶湖疏水沿いの桜が散って、その花びらが全部、北白川との合流地点に流れ着きます。合流地点ではサイホンの原理を使って疎水が立体交差するため、表面に浮かぶ花びらはどんどん溜まっていきます。こうやって花筏ができるんですね!
鴨さんチームは花筏に突撃してください!
平日なのに人がたくさんいて、うんざりしたけど…。ほんとに最近の京都は人ばっかり。桜のせいだ。こちらは西行法師が次のような和歌を詠んでいます。
「花見にとむれつつ人の来るのみぞ あたらさくらの咎には有ける」(西行法師)
(桜の花を見にたくさんの人がやってくるのは桜の残念な罪であるなあ)
というわけで、ちはやふる完結編を見てまた和歌にハマりそうなjoyfutonでした。ちなみに最近、会社の同期に麻呂というアダ名をつけられました。それではまた。
おまけ:岡崎神社のうさぎたちもお花見。