ものほし

ものほし -joyfutonの活動日誌-

旅行と歴史が好きな30代の社会人が、街歩き、旅行、美術、写真、など自分の好きなものを好きなようにやるブログ

ブラふとん「草津」

街歩きの先輩である、ふれっしゅさんと草津を探索してきました。「ブラタモリ」ならぬ「ブラふとん」です。それではどうぞ。

オープニング

ふれっしゅさん(以下F)「今日のテーマは『陸の港・草津は道と共にどう栄えた?』です」
僕「要素が多い」

F「まず草津中山道東海道の交差点ということは知ってるかな?」
僕「昨日wikipediaで見た」
F「あー!そこからかー!」

突然部屋の本棚からでかい地図を出してくるふれっしゅさん。

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確かに京都三条を起点として、長野を経由する中山道と、静岡を経由する東海道草津で別れている。

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五街道 Googleマップ

 

そして面白いのは、JR東海道線米原経由なので、大垣くらいまでは中山道のルートを通っているということ。山を越えるのが無理だったんだろうな。

 

散策スタート

草津

草津駅からすぐ近くにある旧草津川からスタートします。

草津川は天井川でした。ここで天井川の成り立ちを見てみます。

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河川用語集〜川のことば〜

土砂がたまる→堤防を作る→土砂がたまる の繰り返してついには人家より高くなった河川のことを言います。ひとたび洪水が起これば被害が甚大となるため危険です。

平安時代頃から上流にある山の木が都で建材として多く用いられたため、禿山となって土砂の保持力を失い、草津川の底にどんどん溜まっていったそうです。江戸時代ごろから天井川化が始まり、100年前には今の姿になったと言われています。

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天井川の下を東海道線が通っています。奥に見えるのは草津駅

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危険な天井川だった草津川は2002年に付け替えが行われ、流路は公園となっています。この日はめちゃくちゃ寒く、桜も散っているけれど、一応お祭りをやっていました。閑散…。

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こちらはまだ公園の整備が始まっていない部分。確かに川底に砂がたまりまくっている…。

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公園の整備された部分と、まだ整備されていない部分の境界。境目は楽しいですね。

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東海道はここで草津川を渡っていたようで、それを示す道標。上に火袋がついていて、夜には光らすことができる。

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草津川と国道1号線が交わるところ。昔はトンネルがあったのだが、草津川が廃河となったため切り通された。つまり、天井川の断面図が見られるポイントなのです!

 

本家うばがもちや 本店

昼食を食べます。本家うばがもちやは、もともと旧街道沿いにあった茶屋だったのが、自動車社会になるとすぐに国道1号線沿いに移転。やり手の当主だったのだろうな。

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F「どう?うばがもちの味は」

僕「小分けにした赤福ですね…」

ちなみにうばがもちの形は乳母のお乳を表しているそうです。

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狙ったかのように、資料の展示された席につく。準備が良い。東海道名所図会や、歌川広重東海道五十三次などにも描かれた古くからの名店のようです。

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(歌川広重東海道五十三次 草津文化遺産オンラインより)

街道沿い

再び旧草津川を渡り、草津宿本陣へ向かいます。街道沿いの区割りだなあ、と感じさせる、間口が狭く奥に広い駐車場。

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追分道標・草津宿本陣

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さてここが東海道中山道の別れ道。古来は追分と言ったそうだ。右に見えるのが道標。かなりでかい。上に草津川。トンネルは明治19年にできたが、綺麗にされてしまっていた…。

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マンホールも中山道東海道の別れ道を表している!きっと地下の水道管もここで別れているのだろうな。テンションがあがる。

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そしてこちらが草津宿本陣。本陣とは天皇の勅使や大名が泊まるめっちゃええ旅館。ほぼ毎日誰かが宿泊していたそうで、江戸時代の予約のシステムが気になる。ちなみに近所に同じ名字の本陣がもう一つあり、ダブルブッキングしたり客を奪ったりで大変だったらしい。アカンやん。

草津宿街道交流館

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草津のマンホールカード、ゲットだぜ!

草津周辺を表したかなり大規模なミニチュアが置かれていた。ふれっしゅさん大興奮。

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ミニチュアをあえてカメラのミニチュアモードで撮る(笑)

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奥右手に見える石は橋の欄干と思われる。この道路は河を埋めたもの。道のカーブが河川を感じさせる。 

立木神社

東海道に面した交通安全の神様。坂上田村麻呂も寄進したとか。

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狛犬ならぬ、狛鹿。鹿島神宮から旅してきた武甕槌命(タケミカヅチノミコト)のエピソードに由来する神社だからだそうだ。

草津

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そしてこちらが新しく付け替えられた草津川。これもいずれは天井川になってしまうのだろうか…と思ったのだが、上流の山に植樹をしたり、砂防ダムを作る取り組みによって、天井川になることを防いでいるのだそうだ。頑張れ土木!

矢橋の道標

最後に寄り道。矢橋の道標を見に行きました。

江戸から京都へ向かう道のりもあと少し。右に行くと船に乗ってびわ湖ホール方面へ。速い。左に行くと瀬田の唐橋を渡る。安全だが時間がかかる。さてどちらにしようか、ということで詠まれた歌がこれです。

もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ 瀬田の長橋

そう、ここは「急がば回れ」生誕の地です。

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 これにて草津散策終了。あとはひたすら草津駅に向かって帰りました。 

まとめ

というわけで、テーマは『陸の港・草津は道と共にどう栄えた?』でした。

草津は、京都に到着する直前の宿であり、東海道中山道の別れ道でもあった交通の要衝でした。そこに本陣ができたり、交通安全の神社ができたり、お茶屋さんが発展してうばがもちやになったりしたんですね。現在でも国道1号線やJR草津駅があって、京阪神の大ベッドタウンとなっています。

また、洪水と戦うために堤防を上げた結果、天井川ができてしまい、被害に苦しんでいた人々が、ついには河を付け替えて平穏な日々を手に入れたという、治水の歴史もアツいものがありました。

経路

今回の経路を地図にまとめました。色は時間の経過を表しており、赤からスタートして緑でゴールです。

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おまけ

酒蔵がいくつかあった

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草津の自慢 「天井川」蔵出し。飲んでみたい…。

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この子可愛すぎるんだが。
室町時代の武将 太田道灌の子孫が営む太田酒造。どっかで聞いたことあると思ったら、江戸落語の演目に彼の故事を基にした「道灌」というのがあるんだった。

草津川のキュイーンと曲がっているところ

草津川が曲がっているところで洪水がよく起きていたようです。

草津川の流路が曲がっている部分のGIFアニメを作ってみた。1970年の地図→1974年の航空写真→現代の航空写真→現代の高低差色付き。旧草津川が氾濫して池と微高地ができ、その区画が今でも学校や公園として残っている。

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氾濫する場所ということで住むの嫌だろうなあと思っていたけど、土砂が堆積したおかげで微高地になって人が住めるというのもあるんだな、と気づいた。とくに氾濫した場所の外側に住居がたくさんある印象。

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ミニチュアでも洪水跡のような区画が再現されていました。古地図と見比べるとめちゃくちゃ再現度高いなこれ。