ものほし

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【楽は楽なり】中国の古典「礼記」から音楽の演奏に役立つ情報を調べてみた

礼記とは

礼記とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を編纂したものです。五経の1つとして大事にされてきました。その中の19番目に「楽記」(がくき)と呼ばれるものがあります。これは音楽理論について述べたものです。
趣味で音楽をやっているものとして、古代中国で音楽がどのように理解されていたのか知り、現代で音楽をする人たちの役に立てる知恵を手に入れられるかなと思って、図書館で調べてきました。

参考:新釈漢文大系「礼記(中)」(明治書院)


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ざっと読んでみたところ、音楽と礼儀を比較し、音楽と礼儀を使って君子が人民を正しく治め、正しい道に進めるにはどうすればよいかについて述べられた本でした。読む前に想像していた、音楽の作り方や演奏の仕方が書かれた本というイメージとは異なっていた。まあ大本が「礼記」なんだからそらそうか。

礼記 楽記第十九

その中でも、私達が音楽をやるにあたって参考になりそうな部分をまとめたので以下に示します。漢文はわからないので口語訳だけ引用します(笑)

音楽の成り立ち

およそ音楽の起こりを考えれば、それは人の心の動きによって生ずるのであり、そして心の動きは周囲の物事が原因になっている。心がものに感応して動くために、それが声音として表現される。そして人の声音には多くの種別があり、互いに作用するために、声音が変化し、その変化に一定の型ができると、これを音(音楽)というのである。 (p.556)

まずは冒頭で音楽の成り立ち・定義を説明しています。何か物事がおこって、それによる心の動きが声に表される。その声がいろんなふうに変化していき、ある型をもったものを音楽という。そしてこの文章の続きで、音楽は盾、マサカリ、鳥の羽、獣の毛などをもって舞うように進化していったと述べています。

実際私達が演奏する場合も、ただ音楽を書いてあるとおりに演奏するのではなく、どこかの国の情景や何かの出来事をイメージしてそれを音にしたほうがうまくいくことってある気がします。

音楽の性能

人々を互いに親しませ、憂いや悲しみを忘れさせるのが、音楽の性能であり、人を喜び楽しませるのが、音楽の作用である。 (p.568)

つづいて音楽の性能について書かれた部分。なお、君子はこの音楽の性能と作用を知っているが、人民は音楽のやり方とかしか知らないので、ちゃんと導いてあげようね、という流れになっています。

もちろん現代の私達はこの書物を読んで音楽の作用を知っているので、それを知った上でより良い演奏できるようになりたいものです。音楽は演奏する人も聞く人も楽しませるものと心得ておきましょう。

楽は楽なり

音楽が美しく演奏されると、物事の筋道が明らかに感ぜられて、人の感覚や知覚の作用が強められ、身体の健康状態が安定し、その結果風俗が一層善美となり、天下は太平となるのである。 (p.579)

最終的に天下泰平まで行っているところが中国スケールな気がします(笑) 邪悪な音楽ではなくきちんとした音楽をきちんと美しく演奏すれば政情が安定するよ、と。これは現代の芸術音楽とは違う価値観な気がします。

そして以下に続きます。

こうしたわけで、古人も「楽は楽である」と言った。すなわち君子は音楽によって善や美を知って楽しみ、小人は音楽によって欲求を満たして楽しむ。君子は、善や美によって欲求を清らかにするから、音楽を楽しんで乱れないのであるが、小人は欲求に惹かれて善や美も忘れるから、音楽を楽しむことができず、これに溺れてしまうのである。(p.580)

有名な「楽は楽なり」が出ました。一般ピープルは欲望に溺れて音楽を楽しむことができないそうです。どうすればよいの!?

つまり君子は人情を好く考察し、(音楽を利用して)人心を和らげ、音楽の愛好を世に広めて教育の効果を大きくするように、努める。こうして音楽が広く行われ、(その結果として)民心が正しい方向に進めば、その事によって(指導者たる)君子の徳化が、好くわかるのである。 (p.580)

君子が国民のことをよく知って音楽を広めればええんや、と。さらに続きます。

さて、人間の美徳は本性の(善美なることの)端緒であり、この徳の美しい発現が音楽である。 (p.580)

人間が本来もつ美徳が表に現れて音楽となるそうです。その中でも、詩は人の志向の発現であり、歌は声音を曲調にのせたものであり、舞踏は心を動作に表現したものであると分類しています。この3つが人の心から発現すると、種々の楽器が表現の役に立つそうです。

こうしたわけだから、音楽の発出のためには深く豊かな情感が必要であり、それに基づいて明確な(そして感動的な)音楽が作られ、そこには人の心持ちや気持ちが生き生きと動いており、聴く者を感動させる力が神妙である。即ち(すぐれた)音楽は、その内部に和合温順の精神が積み蓄えられ、それが力強く外部に発出して、美しい曲調を成すものであって、(内部に蓄積の無い精神が、技巧のみに頼って表現を試みても、)音楽ばかりは、虚偽では作ることができないのである。(p.580)

だから音楽というアウトプットをより良くするためには、生き生きとした気持ちや深く豊かな情感といった内面が大事だということです。技巧だけでは偽物の音楽になってしまう。これは現代でもよく言われることですね。豊かな音楽を奏でられる情感を持ちたい。

楽は楽なり その2

しばらくして「楽は楽である」が、もう一度出てきます。

楽(音楽)は楽(楽しむこと)であって、人の情意において必ず欲するところである。そして、心が愉しめば必ず声や音に現れ、手足や顔形の表情に出てくるのが人の性質であり、声音や表情の変化によって人の性質はすべて明らかにされる。このように、人は必ず楽しみを求めるものであり、楽しみめば必ず外に表されるのであるが、その際にその表出を規制することがなければ、必ず放縦に陥るであろう。 (p.602)

ということで、楽しいことがあるとつい表情や声に出てしまう、それが音楽なのだそうです。めっちゃ分かる。素敵。楽しいことがあると踊っちゃうもんね。でもやはりそれだけだと一般ピープルは調子に乗って堕落するからダメだそうで、先王は露骨すぎない歌詞を作ったり奔放にならないような曲を作って、人民が乱れないように調整したとのことです。現代でいうとダンスクラブの摘発みたいなもんか?

おわりに

楽は楽なり、聞いたことがあったが、よく吹奏楽部生が言ってる「音楽の楽は楽しむの楽!」というだけの意味とは違ってた。どちらかというと、一般ピープルたちは音楽やってると堕落していくので、君子がちゃんと治めないといけないよという感じ。ただ、現代社会では君子が治めてくれないので、自分で自分を律して、音楽を楽しみつつ、放縦に過ぎないようにきちんとセーブをかけた演奏ができたらいいなと思った。

また、深く豊かな情感があれば聴く者を感動させる音楽ができる、というのは本当にその通りだと思った。古代中国からそういう議論がされていたことが驚きだな。と言っても僕は中国古典は全く専門ではないので、間違えてるところがあれば教えて下さい。