ブラふとん「北野」その2〜北野天満宮と平野神社編〜
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地図
北野天満宮
というわけで、北野天満宮にやってきました!
狛犬
北野天満宮一の鳥居にある狛犬。1934年(昭和9)竹内栖鳳の考案。全長5mと京都府内で最大。
鳩がめっちゃ懐いている〜〜〜w
伴氏社の鳥居
京都三珍鳥居の一つである伴氏社の鳥居。
- 額を掲げる額束(がくづか)が島木を貫通して笠木に至っているということ
- 2本の柱の台座の部分に蓮の花弁が刻まれていること
が珍しいポイントらしいのですが、地味すぎる…。(地味過ぎて額束が写真に写ってない)。京都三珍鳥居の残りは木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居、京都御苑 厳島神社の唐破風鳥居。
同行者「鳥居のことならこの本に載ってますよ」
皆「「あ、それ持ってる」」
何も言ってないのに、示し合わせたかのように僕以外全員同じ本を持って来ていた(こわい)。
梅の字がかっこいい。
電柱とマンホール
石でできた公衆電話の台と、レトロな電柱を発見。
北野天満宮内のマンホール。「うそ水貯」ではなく、貯水そう。
絵馬
珍しい絵馬が奉納されていた。3つの和歌が回文になっており、しかもそれが魔法陣のように配置されている。よく作ったなあ。そして昭和ってわりと最近やん。
修学旅行生がいっぱいいました。まずはお参りして神様にご挨拶。
地主神社
北野天満宮ができる前にいた神様を祀っている地主神社。今の参道は折れ曲がっているのだが、まっすぐ進むとここに来るらしい。(ちょっと怪しい)。
1868年、神仏判然令によって廃仏毀釈が行われ、毘沙門堂や朝日寺、多宝塔といった施設が北野天満宮から一掃されてしまった。しかし、多宝塔に使われていた擬宝珠が地主神社に流用されているらしい。
これ。反対側に慶長12年って書いてあった。綺麗やん!と思ったけど塗り直しただけか。
同じく都名所図会に書かれている宝蔵だと思われる、校倉造の建物。今やお手洗い看板がアピールしている状況である。
長五郎餅もぐもぐ
おやつ休憩です。
神社の近く、って感じの町名が多いな。
奉納の納の字が良い。
わざわざ禁煙の石標を建てるw そして門の向こうには禁煙の看板。
北野天満宮の東側の壁、南から順に屋根付きの立派なやつ、普通の家みたいな壁、そしてただの柵と3種類ある。これは北野天満宮が徐々に境内に編入していった軌跡だ。
平野神社
桜橋
紙屋川を渡る橋は桜橋。平野神社にちなむ名前だろうか。周囲には料亭があったそうだ。今もわずかにその面影を残す建物があった。
桜橋から平野神社方面を望む | 北野今昔ものがたりギャラリー | ふれあいの街きたの(北野商店街振興組合)
ここには御土居があったはずだが、平野神社へ行く人があまりに多いため、切り崩されたそうだ。
僕「市電の敷石を感じる…」
ふれっしゅさん「是より南 とうぢじ りやうあんじ めうしんじ おむろ さが みち、是より北 きんかくじ みち」
一同「なんで読めるんだ…」
平野神社境内
東側から境内に入ります。
左:東北地方からわざわざ運ばれてきた鉄鉱石。磁石が置いてあるのでくっつけて遊べる。調べてもパワーストーン関連のサイトしか出てこない。なんでここにあるんだ…。
右:変わった石でできた灯籠。石マニアじゃないのでわからない。
西側入口
実はさきほど入ってきた方が昔からの入り口。西側は昭和14年に西大路通ができてから造られた入り口なので、神社的には裏口なのです。だからあんまり表って感じしなかったのかー。
でもこの石標、明治27年って書いてある。移動させられたのかも。
「官幣大社」 と書いてあるのはランクの高い神社のこと。塗りつぶされているが残っている。
定食ハイライト
めちゃくちゃ久しぶりに来た。超安い学生向けの定食屋さんでお昼ご飯。
次はいよいよ後編です!
ブラふとん「北野」その1 〜目指せ北野天満宮編〜 - ものほし