ものほし

ものほし -joyfutonの活動日誌-

旅行と歴史が好きな30代の社会人が、街歩き、旅行、美術、写真、など自分の好きなものを好きなようにやるブログ

ブラふとん「北野」その3〜西のカルチェ・ラタン編〜

 

〜ここまでのあらすじ〜

街歩き企画ブラふとん。今回は永太郎さんの案内で北野を巡ります。市電の痕跡をたどりながら北野天満宮に参拝し、平野神社を巡り、昼ごはんを食べました。

ブラふとん「北野」その1 〜目指せ北野天満宮編〜 - ものほし

ブラふとん「北野」その2〜北野天満宮と平野神社編〜 - ものほし

 

 

後編のテーマ

定食ハイライトで昼ごはんを食べていると、永太郎さんが差し出したのは…どこかで見覚えのある箱!!

f:id:futon345:20180522202831p:plain
f:id:futon345:20180522202814j:plain

というわけで、後編のテーマは「“西のカルチェ・ラタン”はどうできた?」です。今日一番テンションあがった。 

地図

f:id:futon345:20180523213543p:plain

小松原公園

まずは近所の小松原公園へ。写真奥にも見えますが、このように柵で囲われている公園は京都だけらしい。知らなかった!京都の公園も奥が深いのかもしれない。

f:id:futon345:20180522203044j:plain

ラジオ塔を発見。「紀元2600年記念建設 心身錬成」と書かれている。上の台にラジオを置いてみんなで聞くやつです。

f:id:futon345:20180522203049j:plain

僕「プールの暗渠だ…

昭和47年に造られたちびっこプールは利用者減少のため平成16年に廃止されたのだが、この公園では跡地が花壇に転用されていた。たしかに、砂場になっているプールをよく見かけるなあ。花壇になってるのはめずらしい。

ちびっこプール

衣笠の街並み 

線継ぎの止まれ

f:id:futon345:20180522203118j:plain

道路の補修のために手書きで追加された「トマれ」。こういうのばっかり集めたサイトがあるようで、そこでは線継ぎと呼ばれていた。世の中にはマニアックな人がいるものだなあ。カタカナで補修してるのは珍しいそうだ。

路上の補修面に上書きされた道路標示の観察 – 素人の研究社

ちなみに電柱についている「止まれ」の標識は最近流行りの英語表示つき。

 

熊野神社衣笠分社

f:id:futon345:20180522203127j:plain

なにこれ!!超かっこいい!こんなんあるの知らなかった。木の模様をつけた石造り。安藤忠雄光の教会を思い起こさせる。

f:id:futon345:20180522203203j:plain

中はこんな感じ。神社とは思えへんモダンさ。これはぜひいろんな友人に紹介したい。

木島櫻谷旧邸

木島櫻谷は、明治から昭和にかけて活躍した京都の日本画家。1913年に建てられたこの家は近代建築としても貴重で、定期的に特別公開が行われてます。ゴールデンウィークにも公開されてたんやけど、見に行く機会がなかった…。衣笠には多くの画家が住んでいて「絵描き村」とも呼ばれていたそうだ。ちなみに写真は取り忘れました。

道路の隅切り

f:id:futon345:20180522203208j:plain

1919年の都市計画法以降に整備された道路には隅切があるそうだ*1。交差点の角っこが八角形になってるやつね。ほんまや!気にしたことなかった!

f:id:futon345:20180522203254j:plain

僕「ちょっと待ってください。」

一同「???」

僕「すみません、突然暗渠を感じてしまって

永太郎さん「暗渠感覚に優れた人たちと農村地帯を歩くと大変」 

f:id:futon345:20180522203330j:plain

ふれっしゅさん「丸型郵便差出箱1号だ!

謎に着色されている…。

本野精吾邸 

大正13年に建てられた日本で最初のモダニズム建築。

本野精吾は京都考古資料館や京都工芸繊維大学3号館などを設計した建築家。

表札で「本野」って書いてあるのがリアルだな。

f:id:futon345:20180522203415j:plain

 

立命館大学衣笠キャンパス

衣笠球場

衣笠球場は1948年に開場し、太陽ロビンスの本拠地としてプロ野球の試合が行われた。太陽ロビンス松竹ロビンスになったが、1953年に大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズにつながる)に吸収され、衣笠球場プロ野球の球場として使われることはなくなった。そして1967年、立命館大学のグラウンドとして整備され、球場はなくなった。今も電柱に「衣笠球場」と書かれたものがあるそうだが、残念ながら今回は見つけられなかった。

<懐かしの立命館>立命館衣笠球場のホームベースはここだ! | | 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) | 立命館大学

<学園史資料から>衣笠球場ものがたり | | 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) | 立命館大学

f:id:futon345:20180522203441j:plain

この写真のあたりに衣笠球場があったようだ…。

京都大学の候補地

ところで、この衣笠の地にもしかしたら京都大学ができていたかもしれない、ってご存知でしたか?

京都大学の前身である第三高等学校が大阪から京都に移転する際、候補は3箇所あった*2。その3つは

  1. 葛野郡宇多野の谷口村を中心に、西は仁和寺、南は花園妙心寺、北は等持院にまたがる 7 万 5000 坪の地
  2. 愛宕郡紫竹大門村のうち、大徳寺の南から船岡山建勲神社の北にいたる地
  3. 愛宕郡吉田村のうち、吉田神楽岡の西方、旧尾張藩屋敷跡

である。このうち1番が現在の立命館大学衣笠キャンパス南西にあたる。当時の校長、折田彦市(折田先生像でお馴染み)と文部大臣森有礼薩摩藩出身であったこと、衣笠に薩摩藩邸があったことから、1番が有力候補とされた。

しかし最終的には森有礼が「水質純良なるうへ、東の方の吉田山を除く三方は皆田野にして、遥か西に鴨川をひかえ、北に百万遍知恩寺ありて至極の清地にて、白川村の農夫等および牛馬の通行するのみ。此地は学業中目に耳に障害あることなし」*3として、3番の吉田が選ばれた。水が綺麗で静かなところだと勉強しやすい、ってことになったんだな。

眞如寺

相国寺の山外塔頭寺院である眞如寺。最近流行りの室町時代の「観応の擾乱」にも登場する、足利尊氏の執事であった高師直にも関係するお寺です。

普段は非公開なのですが、住職がいらっしゃっていろいろお話を聞かせていただきました。なんと地理学専攻だったようで、ブラふとんの資料を見て嬉しそうに「ええもん作ってるねえ」とおっしゃってたのが印象的でした。次回はぜひ案内していただきたい…(笑)

f:id:futon345:20180522203545j:plain

等持院の街並み

市電の敷石

f:id:futon345:20180522203549j:plain

僕「市電の敷石を感じる…」

縦に置くパターン珍しいな。

竹やぶ

 

f:id:futon345:20180522203611j:plain

荒れる竹林。かつてはもっとたくさん生えてたんだろうな。きっともうすぐすべて伐採されてしまうのだろう。

マンホール

今回みかけたいろんなマンホール。

f:id:futon345:20180522204520j:plain
f:id:futon345:20180522204524j:plain

左:立命館大学の中で。真ん中が完全に消されたマンホール。

右:立命館大学の中で。特高マンホール。特別高圧のことかな?

f:id:futon345:20180522204527j:plain
f:id:futon345:20180522204530j:plain

左:石で覆われた上等なマンホール 。真ん中の京都市章が埋められている。

右:サビサビマンホール。

まとめ

というわけで、衣笠の地には眞如寺、等持院といった多くの寺院、また洛星高校や立命館大学衣笠キャンパスといった学校施設があり、京都大学の候補地にもなっていたことがわかりました。近代には建築家 本野精吾がお家を作ったり、木島櫻谷などの画家が住んで絵描き村と呼ばれるなど、文化の地が広がっていました。

ここから先、等持院から南に下っていくとさらに学園都市が感じられるのですが、それは次の記事に続きます!めっちゃ長いシリーズになってんな!

 

ブラふとん「北野」その1 〜目指せ北野天満宮編〜 - ものほし

ブラふとん「北野」その2〜北野天満宮と平野神社編〜 - ものほし

 

ブラふとん「北野」その4〜学校巡って妙心寺へ編〜 - ものほし

*1:京都市の土地区画整理事業地における町割方法の歴史的変化について

*2:河島 一仁(立命館大学)「近代京都における大学の歴史地理学的研究 ―藩邸、公家屋敷、ならびに寺社地の転用を中心に―」
http://www.kokudo.or.jp/grant/pdf/h28/kawashima.pdf

*3:

尾池 和夫「学位授与式 式辞 (2004年1月23日)」

www.kyoto-u.ac.jp