ブラふとん「山科」その1:旧東海道を歩く
今回は京都から近いけどあまり行くことのない「山科」をブラふとんしました。
参加者は僕、永太郎さん、他3名。
前半のテーマは「旧東海道を歩く」です。早速行きましょう。
散策地図
全体としてはこんな感じで歩きました。色は高低差を示しています。
横に長い道筋が旧東海道です。
前半の行程
それでは行ってみましょう!
御陵駅
まずは地下鉄御陵駅に集合。あがってすぐのところに1つ目のポイントがあります。
琵琶湖疏水煉瓦工場跡
明治19年〜22年にかけておよそ1000万個のレンガをここで作ったという。レンガの一部が亡骸のようにお供えされていた…。これは琵琶湖疏水で使われたものなのだろうか??
4方向全部暗渠だ!
暗渠の四つ辻です。
一里塚ガレージ
街道には1里(約4km)ごとに一里塚が置かれ、目印となった。山科の一里塚の痕跡はガレージの名前として残っていた。
吉田初三郎のお墓
明治生まれの人気「鳥瞰図」画家の吉田初三郎。パノラマ風観光地図をたくさん作りました。
以下のサイトに彼のたくさんの作品が掲載されています。
デジタル展覧会「京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」/京都府ホームページ
吉田初三郎のお墓には、彼が鳥瞰図に書いたサインが掘られていました。
全国を旅した初三郎は今もJR東海道線のすぐそばで旅人たちを見守っています。
東海道線の歩行者用トンネル。レンガ造りですてきだった。
左:石造りのニワトリ!?
右:貝がいっぱい落ちていた。数万年前にここが海だった名残か…!?(嘘)
日ノ岡ホッパラ町
珍しいカタカナ地名のホッパラ町。九条山の処刑場でできた罪人の遺体を掘って埋めた原、という由来がある。
亀の井不動尊
1738(元文3)年、日ノ岡峠の改修に尽力した僧木食(もくじき)正禅が結んだ庵の名残だそうだ*1。すぐ周りに土地を主張する看板の立った空き地が迫っており、亀の井不動尊にたどり着くにはかなり狭い道を経由せねばならず、いろんな揉め事を感じさせる空間だった。
僕「旧東海道を目指して、山科方面へ歩きましょう!(てくてく)」
永太郎くん「そっち行ったら京都方面ですよ」
僕「えっ!?」
永太郎くん「ちなみに今歩いてるのが旧東海道です」
僕「マ!?!?」
旧東海道
フェンスを避けるようにおいてある岩たち。東海道だった頃からここにいるのかな…?
横断暗渠だ。
インターホンが何らかの岩の転用だ!コードが邪魔!
廃線跡
僕「廃線跡を感じる…」
車石の転用
車石は、牛車がぬかるみに取られないように敷き詰められた凹状の石。あちこちに転用されているので探すと楽しい。
天智天皇陵と日時計
天智天皇陵。このあたりの地名「御陵」の由来となった。天智天皇が初めて時計を作ったことにちなんで日時計のモニュメントがあった。時間は正しかった。
山科三条街道商店街
「パレみささぎ佐わらび」。なぜか1つだけ漢字なので全然読めなかった。
五条別れ道標
宝永4年に建てられた五条別れ道標。「右ハ三条通」「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛今ぐまきよみず道」とある。1707年、富士山が噴火し、赤福が創業した年である
もてなす君
山科三条街道商店会のゆるキャラ「もてなすくん」。山科ナスが由来。顔が雑。
しぼんでるし…。
当麻寺、吉田初三郎のお墓を管理していたところだった!
謎のオカメ
山科の商店街のあちこちにいるオカメ、フクロウ、金のブタ、オレンジの象さん。次々と見つかるも全くの謎。果たしてその正体は…
どうやらどちらも商店街のスタンプラリーで使われたものらしい。怪しすぎるよな。
オレンジ色のストレンジなゾウ探せ! 京都・山科三条街道商店街 : 京都新聞
鍾馗さん
京都のお家の守り神「鍾馗さん」もあちこちに。前回のブラふとん北野で見つけたみたいに、たまに針金で磔になっている。
山科駅
山科駅の通路には、旧国鉄時代のものと思われる案内標が残っている。手書きの文字が良い。指差す方向には階段もなければ通路もない。
脇の字が…異体字?
ここにも車石。
RACTO
山科駅前にある商業ビル「RACTO」で昼ごはん。名前は洛東に、ロゴはRとTに由来してるのかな。
ちなみに7月1日はびわ湖の日だったそうだ。
だんじょ水
がんばって作った水路なのでお祀りされているみたい。冷たかったけど飲用はできなかった。
続きます!