ものほし

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joyfutonのブログです。街歩き、旅行、美術、写真、自分の好きなものを好きなだけ。

ブラふとん「山科」その2:山科本願寺の土塁を巡る

ブラふとん、今回は山科を巡っております。

ところで皆さん、山科にも「御土居」があったのをご存知ですか?御土居といえば、16世紀に豊臣秀吉が洛中を取り囲むように作ったことで有名です。しかし、山科の御土居はその100年前の15世紀、蓮如上人が作った山科本願寺の土塁として築かれました。

後編のテーマは「山科本願寺の土塁を巡る」です。

 

前編はこちら。

joyfuton.hatenablog.com

 

地図

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山科本願寺

山科駅前のラクトで昼食を終え、山科本願寺のあった場所へ向かいます。

公園の横の謎の区画

公園と隣りの建物の間にへんな区画を見つけました。公園の出口があるのにその向こうが立ち入り禁止。うーん、区画整理の関係かなあ。

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醍醐街道

山科駅から醍醐寺へ向かう道、醍醐街道を進みます。古い家や商店が並び、良い感じ。車道の塗装は、車がスピードを出しすぎないようにギザギザになっている。面白い。 

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古地図と比較

古地図(今昔マップ1892年〜1910年)と見比べるとこんな感じ。南北にずーっとまっすぐ行ってるのが醍醐街道です。色は高低差を表します。

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本願寺山科別院

さて、実は山科本願寺そのものは残っていません。位置もだいたいしかわかってないみたい。

これは西本願寺山科別院。通称西御坊です。ちなみに東本願寺山科別院もあって、それは東御坊と呼ばれています。東御坊が西に、西御坊が東にあるのでとてもややこしい。

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椅子の主張が激しかった…。

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蓮如上人御廟所

本願寺中興の祖にして山科本願寺を作った僧侶、蓮如上人の御廟所はここにあります。石垣や屋根があって、お墓っぽくない雰囲気。でもこのあたりだけひんやりとしていて空気が違った。

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暗渠と開渠の立体交差

開渠と暗渠と川の三重立体交差や〜〜〜!

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右の写真にある暗渠(アスファルトの色が違う部分)と御廟所の脇を通る開渠が交差して、左の写真のようになり、片方は河に流れ込み、もう片方は引き続き水路を通っていく…。複雑な水路の行く末が楽しい。

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ちなみにこの写真の左側に突き出している棒は水位を測るセンサー。

山科本願寺の土塁

蓮如上人が1483年に作った山科本願寺は、堀と土塁をもった寺内町から構成される堅牢な作りだったが、約50年後に法華宗徒により焼き討ちにあって現存していません。

土塁跡の地図

左が土塁跡の推定図。右が今回の行程。だいたいおんなじ場所の地図を切り取った。

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出典:京都市埋蔵文化財研究所 第244回京都市考古資料館文化財講座 資料より

北東部土塁(山科中央公園)

というわけで土塁の北東部に来ました。いちばん外側の土塁のうち北東部分が、現在も山科中央公園として整備されている。

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この土塁は上まで上がれます!少年たちが虫取りしていた。夏だな〜。

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住宅地の高低差

今度はいちばん内側にある土塁の、北側あたりに来た。わずかな高低差があり、土塁の痕跡を思わせる。

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西宗寺

蓮如上人が亡くなった場所。

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西部土塁

整備されている感じはないが、ところどころこんもりと残っている。

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駐車場が迫っていて、いまにもなくなりそうだなあ…。

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こちらは土塁を切り開いた道路。

立派なお家

めちゃくちゃ立派な門をもつお家の奥に、茅葺き屋根山科本願寺の土塁を発見。入ってみたいなあ…代々土塁を守ってきたのかな。

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取り残された土塁

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南西部土塁

南西部までやってきました。ここは石碑と説明板が建っていた。新興住宅を建てる際に発掘したみたい。

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お家の隙間から少しだけ高低差が垣間見える。

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カラーコーン惨殺現場。

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ひたすら同じ形の家が少しずつ位置をずらして建っていて、少し不気味だった。

おわりに

価値判断を含む看板

そういえば永太郎さんに教えていただいたのだが、最近の京都市文化財の説明看板は価値判断を含むようになったらしい。「惜しくも」とか「残念ながら」とか。歴史を評価するのは人だもんなあ。ただ学問的客観的記述にはならなさそうなので賛否両論あるだろうな。

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予習したサイト

山科検定の公式テキストが観光案内ガイドも兼ねていてとても良かった。京都検定と違ってテキストが読みやすくてイラストも多いのが良い。山科検定ってそんな小規模の地区でやって意味あるんかと思ったけど、意外といろんな歴史がコンパクトな場所にまとまっているのだな。

京都市山科区役所:区民が選んだ魅力を訪ねて 京都山科 東西南北

感想

山科なんて住宅地やろ、としか思っていなかったのだけど、調べてみると歴史が深く、街歩き的にも楽しい要素がたくさんある町だった。

京都市内は碁盤の目なので道や河を楽しむにはやや単調なんだよな。これからは他の地域にも目を向けていきたい。