ものほし

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joyfutonのブログです。街歩き、旅行、美術、写真、自分の好きなものを好きなだけ。

ブラふとん「北野」その4〜学校巡って妙心寺へ編〜

〜ここまでのあらすじ〜

街歩き企画ブラふとん。後編のテーマは「“西のカルチェ・ラタン”はどうできた?」ということで、高校や大学、そして芸術家の家が集まる衣笠〜花園地域を歩きます。案内人は引き続き永太郎さん。やっと完結編です。

ブラふとん「北野」その1 〜目指せ北野天満宮編〜 - ものほし

ブラふとん「北野」その2〜北野天満宮と平野神社編〜 - ものほし

ブラふとん「北野」その3〜西のカルチェ・ラタン編〜 - ものほし 

地図

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京都学園高校

北部

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いま話題の、京都学園が封鎖した道路!

住民が長年使用していたのだが、もともと京都学園の土地だったため、トラックにしてしまった。あたりには反対運動の張り紙がたくさんしてあった。一番可愛そうなのは生徒たちだよなあ…。しかもトラックめちゃくちゃ坂道なってるし。

 

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道路が陸上トラックに「変身」 京都、通行巡りトラブル : 京都新聞

 

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左に目を向けると宇多川が深く削った地形が。かなり激しい。

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僕のソウルフードでもある巨大お好み焼きでお馴染みの「ジャンボ」裏側。暗渠まで、あと少しという感じの蓋し具合。 

中部

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中部に正門がある。この高校はめっちゃ南北に伸びて、しかもグラウンドだけ飛び地になっているんだな。ちなみに京都学園高校はもともと京都商業高校でした。

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北側(左写真)、南側(右写真)といった具合に、宇多川の激しい流れでキャンパスが更に狭くなっている…。

京都工芸繊維大学繊維学部

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京都工芸繊維大学の発祥の地はここ。もともとは京都蚕業講習所として開講しました。近くに西陣織で有名な西陣があったことも影響しているかもしれません。

ちなみに、蚕業で始まった工芸繊維大学がいつまでも「繊維」を名前に入れているせいで、ここの学生たちはいつも「繊維のことやってんの?」と聞かれて困っています。

石碑

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僕「なんかありますよ」

ふれっしゅさん「何だろうこれ!分からんしとりあえず撫でとこ

僕「!!?!?」

工芸繊維大の敷地のズレ

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この謎の緑地。実は意味があるそうで…。 

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昭和28年の地図と見比べると、京都工芸繊維大学の土地の境界と現在の道路の境界とがずれていて、その隙間がこの緑地なんだそう。マニアックかよ!歴史に取り残された空間だったわけです。 

府立医科大学花園キャンパス

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府立医科大学の校舎として使われていたが、今は北山にある京都府立大学京都府立医科大学京都工芸繊維大学の合同校舎に移転している。ここは何に使われているんだろう…?

ちなみに、左隣にある府立体育館(島津アリーナ)も元は府立医大の敷地だったようだ。 

北野中学校

北野中学校は1947年にできた市立中学校で、この地にはもともと京都第二商業高校がありました。当時造られた、御土居の堀跡を利用したプールと観客席は、現在も残っています。このプールは府内初の長水路公認プールだそうです。

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外からは見えないと思っていた御土居由来のプール観客席が、外からギリギリ見えた。

北野天満宮の関連施設

威徳水

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菅原道真太宰府で亡くなった後、側近たちが7箇所の御供所「七保天満宮」を作りました。そのうちの1つがここ。いまは病気平癒の御利益がある水として信仰を集めた井戸跡のみが残っています。ちなみに、御土居がここだけ西に曲がっているのは、この井戸を洛中に取り込むためとも言われます。

ところが!!!前は下のリンク先みたいだったのに!!!コンクリートで完全に埋められている!!!これはひどい

kanko.city.kyoto.lg.jp 

北野天満宮御旅所

ずいき祭りのときだけ使われる御旅所です。

実は学生のときアルバイトでずいき祭りの行列に参加したのですが、謎の銅鑼みたいなやつを半日くらい担いで歩かされ、結局何にも使わずにまた担いで戻ってきたのを思い出しました。しんどかったけど、周りの人達がめっちゃ手ふってくれたので良い経験でした。

成願寺

さきほどの七保天満宮の1つ。廃仏毀釈により今はお寺しか残っていない。

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このお寺は花園艮北(こんぼく)町というところにある。

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妙心寺道を挟んで南側には巽南町というのがあるので、何か関係があるんだろうなあ。

ちなみにこの木辻通というのは平安京の木辻大路と一致します。

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山城高校

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山城高校は道よりちょっと奥まったところにあって、正門に向かって道がまっすぐ伸びている。かっこいいけど、なんでこんな形にしたんだろう?

オススメのY字路

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永太郎さん「このY字路はオススメなので撮影してください

一同「「はい」」(パシャパシャ)

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もともとあった京都工芸繊維大学が移転し、花園団地が建てられた際、道の付替えが行われ、このようなY字路ができたそうだ。塗り替えられる道、よい。

妙心寺

さてここから妙心寺に向かいます!

豆屋で見つけたデシリットル

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ふれっしゅさん「出た!今ではほとんど使われることのないデシリットル表記!

豆は1合(約1.8デシリットル)単位で計り売りされていたのだが、計量法の施行後、1合とほぼ同等の2デシリットル単位で小売されるようになったのだそう。

囚われの鍾馗さん

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つらそう。

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シルクロード」と読むのかな。ヤンキーか。

道路元標

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左:妙心寺勅使門(1610年)。妙心寺内部では、この門からの道を中心に建物が建っている。普段は使われない。

右:花園村道路元標。道路の起終点を示す標識のことらしい。お寺や学校によくあるそうだ。

というわけで、妙心寺から花園駅に向かって参道を歩き、ブラふとん終了!長い1日でした!

歩いて見つけたものいろいろ

良いフォント

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京都西ノ京伯楽郵便局。京都信用金庫明徳寮。 

良い煙突

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銭湯の煙突が良い。

まとめ

長くなりましたが、ブラふとん後編では衣笠から花園を歩きました。この地域には村野藤吾や木島櫻谷といった芸術家が住んでいたり、また京都工芸繊維大学京都府立医科大学立命館大学、(京都大学の候補地)、そして洛星高校、京都学園高校、北野中学校、花園高校など、数々の学校施設があったことがわかりました。

この学術文化都市が広がる地域を“西のカルチェ・ラタン”(パリの学生街)と称するのは納得がいきます。ではなぜここにカルチェ・ラタンができたのか?それは

  1. 京都市街から離れていたこと
  2. 周辺村落とも重ならず空閑地が広がっていたこと
  3. 練兵場・社寺など公有地に転用しやすい施設があったこと
  4. (繊維学部・商業学校の場合)西陣軽工業地帯に近かったこと

が原因ではないか、と永太郎さんは考察されていました。

確かに歩いていても、衣笠山をすごく近くに感じて、勉強に適した静かな土地だなと感じました。昔の土地って、当然、どこかしこにもお寺や家が密集していたわけではなく、空き地や田畑が相当広がっていたはずです。そこにどーんと大きな学校が移転してきたり、静かで広い土地を求めて画家がやってくる、そんな歴史の流れを想像できました。

というわけで、長くなりましたがこれにてブラふとん「北野」完結!

永太郎さん、案内ありがとうございました!またぶらぶらしましょう!!