ものほし

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joyfutonのブログです。街歩き、旅行、美術、写真、自分の好きなものを好きなだけ。

ブラふとん「旧東海道本線」

まいまい京都主催の「旧東海道本線 日本初の山岳トンネル!廃線ウォッチャーと辿る巨大な鉄道遺産」という街歩きイベントに参加してきました。今回のブラふとんはその模様をまとめます。

 

概要

今回はこのような経路で街歩きしました。本当は資料をいただいていたのですが、ここには掲載できないので自分で作りました。色は高低差を示します。

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東海道本線は新橋〜横浜間が1872(明治5)年に開業し、その後部分的な開業を順次行い、1889(明治22)年にようやく全線が線路でつながりました。その過程で、滋賀県大津市あたりは何度か線路の付替えが行われています。それにより、大津駅は過去2度に渡り移転をしました。

実は今あるJR大津駅は3代目です。初代は現在の京阪大津線びわ湖浜大津駅、2代目はJR膳所駅にありました。今回のブラふとんでは、どのような理由で大津駅が移動してきたのかをたどっていきます。

ちなみに今回のツアー、ふれっしゅさんも誘ったのですが「全部行ったことある」という理由で断られました。しゅごい、、、

逢坂関

京阪大谷駅

集合は京阪大谷駅でした。大谷駅はすごく傾斜のきつい駅で有名です。ホームのベンチの脚が片方だけ長くて片方だけ短くなってるくらい傾斜があります。

赤帽子の案内人、中村浩史さんは廃線マニアです。わかりやすく面白い解説をしてくださいました。

旧東海道

すぐ横は旧東海道。旧街道の雰囲気を出していて良い感じです。

電柱には「逢坂」の文字が。そう、ここは百人一首にも選ばれた蝉丸の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」で歌われた、1000年以上の歴史をもつ京都と滋賀を結ぶ関なのです。

もともと山越えの道だったのを、近世に道を掘り下げ、傾斜をゆるくしました。それでも坂道になっているので、電車で上がるのは大変です。

山科南部を通った東海道線

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今昔マップ(1892-1910年)の山科付近の地図。

京都から東海道線に乗るときのことを想像してください。東山トンネルに入って山科駅に到着、山科駅から今度は新逢坂山トンネルに入って大津駅に到着…という行き方になっていると思います(上図のピンク・オレンジルート)。

ですが、東海道線開業当時の技術力では、京都から山科に抜ける東山トンネルを作ることができませんでした。そこで最初は、現在の奈良線を経由して稲荷駅まで行き、東山を南に迂回し、山科盆地の南側の山科駅を通り、北上して大谷駅、そして逢坂山トンネルを通って滋賀県に抜けました(上図の水色・緑ルート)。このルートは1921(大正10)年に新逢坂山トンネルが開業するまで使われました。現在その跡地には、名神高速道路が走っています。

大谷駅

というわけでこちらが旧東海道線を走る名神高速道路です。このあたりに大谷駅がありましたが今は跡形もありません。官設鉄道(国鉄の前身)の大谷駅も、京阪大谷駅と同じく傾斜がきつい駅で、このあたりは碓氷峠に次ぐ勾配だったとか。いかに逢坂関を越えるのが大変だったか。それでも人々は東京へ向かいたかったんですね。

逢坂山トンネル西口

逢坂山トンネルの西口は現在は埋められていますが、石碑が建っています。面白いのは、この石碑を建てたのが高速道路を管理するNEXCOであること。最初に逢坂関を越えた交通手段であった鉄道をリスペクトしてるんですね。

大谷駅と逢坂山トンネルの位置関係はこんな感じです。西口からいったん大谷駅の方へ戻り、徒歩で逢坂関を越えてみます。

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蝉丸神社

蝉丸神社に来ました。車石という、牛車がぬかるみに取られないように敷き詰められた凹状の石が飾られていました。旧東海道で使われていたものがあちこちに転用されているので、ブラふとん山科でも見かけましたね。

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車輪がハマる部分、すべすべで触ると気持ちいい。

近代社格制度(神社のランクを表すやつ)の「村社」という文字が掘られていたのだが、GHQの干渉を恐れてコンクリートで埋めたと思われます。

こちらもブラふとん北野を開催した際、平野神社で同じようなのを見たなあ。

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鰻屋「かねよ」

うなぎで有名な料亭「かねよ」がありました。隣には意外とモダンな建築が建っていた。1回食べに行きたいと思っているのだが、なかなか機会がない……。

そして、滋賀の名物「飛び出し坊や」を発見!なんと、うなぎバージョンです。

逢坂山関跡

行くも行かぬも公衆のトイレ。逢坂関の解説が掲げられていました。

地図がわかりやすかったので拡大します。

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車石

ここにも車石がしれっと敷かれている。

常夜灯を囲う部分にも車石が使われている。

 関蝉丸神社上社。急な階段の参道だなあ。 

逢坂山トンネル東口

逢坂山トンネルの東口にやってきました。実はこのトンネル、初めて日本人だけで作ったトンネルにして、日本で初めての山岳トンネルでもあります。立派なトンネル入口が残っていて、自由に中に入れます。

掘削に携わったのは生野銀山の坑夫たち。手作業でトンネルを掘り切ったといわれています。入口上部には、三条実美による「楽成頼功」の篇額があります。本来は「落成」と書くところですが、「落」の字はトンネルの落盤を連想させるということで、「楽」の字を当てたといいます。*1

レンガの積み方はイギリス積みでした。鉄道関係はイギリス積みが多いね。ただ、上の方は長いのばっかりだった。

 

レンガの積み方はこちらを参考に。

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煉瓦積み:用語集|外壁塗装・屋根リフォームなら宮城県のスマートプラスへ(仙台市全域,多賀城市,富谷町,大和町,利府町)

逢坂山トンネル東口は、鉄道記念物に登録されています。立派な看板が建てられていました。

鉄道記念物 - Wikipedia

 複線化したときのトンネルも横に並んでいます。

新逢坂山トンネルが開業して、こちらの逢坂山トンネルが使われなくなった後、太平洋戦争中には、B29の爆撃に対しての工場疎開としてトンネル内に工作機械が置かれ航空機部品工場として敗戦まで使用され、現在は京都大学地震研究施設として用いられているそうです。卒業生やし、頼んだら入れるかなあ。

大津駅スイッチバックの謎

さてここでもう一度全体の地図を見てみましょう。京都から逢坂山トンネルを出て滋賀に入った東海道線。ここから東京へ向かうためにはどこへ向かうでしょうか。琵琶湖線のように、湖東を走る?いいえ、開業当初は違いました。なんと船で長浜まで行ったのです。

一刻も早く東海道線を全通させたい国は、「琵琶湖あるなら船で通れや!」ということで、1889(明治22)年に線路が全通するまでの間、初代大津駅(びわ湖浜大津駅)から就航していた太湖汽船で長浜まで向かっていました。

というわけで逢坂山トンネル東口からそのままびわ湖浜大津駅(初代大津駅)へ行きたいのですが、そういうわけにはいきませんでした。

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iPhoneアプリ「スーパー地形」で高低差を測ってみます。距離が1.38km、高低差が45mなので、33パーミルの勾配。当時は電車でなくて機関車だったので、この勾配を上るのは厳しかったのです。ではどうしていたかというと…。

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そう、スイッチバック(折返し)です。

1892-1910年の古地図(今昔マップ)を御覧ください。大谷駅からトンネルを抜けて来た機関車は、馬場駅(現在の膳所駅)でスイッチバック(折返し)して大津駅へ行き、乗客たちは太湖汽船で長浜駅へと向かったのです。

この馬場〜大津間は大津線と呼ばれ、1880(明治13)年に開業しましたが、1889(明治22)年に東海道線の琵琶湖東側区間(膳所関ヶ原間)が開通すると、貨物支線になりました。ですので上の地図に載ってるのは、貨物支線時代の大津線ですね。

橋脚跡

というわけで説明が長くなりましたが、トンネル東口から、現在の大津駅まで歩いていきます。トンネル東口からまっすぐ行くとこの辺に出てきます。

現在の京阪京津線の踏切あたりにあるこのレンガの土台。これが実は東海道線の橋脚跡だそうです。なんか今にも工事でなくなってしまいそう…。

ねじりまんぽ(音羽台1号橋)

東海道線跡の下をくぐる「ねじりまんぽ」がありました。下ネタではありません。線路に対して水路や道路が斜めに通っている場合、レンガを斜めに積むと耐久性が増します。こうしてできたトンネルのことをねじりまんぽと呼びます。琵琶湖疏水インクラインの下にあるやつが有名です。

東海道本線 東川橋梁 ねじりまんぽ(歩鉄の達人)東川橋梁(音羽台1号橋)ねじりまんぽ

 

このあたりの話は京阪のウェブサイトにも詳しく載っていました。

www.okeihan.net

大津駅膳所駅石場駅

大津駅(3代目)

現在の大津駅までやってきました。あらためて見ておきましょう。開業当初は逢坂山トンネルを抜けて馬場駅まで向かっていたのですが、1921(大正10)年に新逢坂山トンネルが完成すると、線路が付け替えられ、現在の大津駅が造られました。

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 さてここから電車でワープします。JRで大津駅膳所駅、京阪で膳所駅石場駅まで移動します。100年前のスイッチバックを疑似体験。 

膳所駅(2代目大津駅)

馬場駅は滋賀県で最も古い駅で、1880年(明治13年)に開業しました。1913年(大正2年)に大津駅と改称しましたが、新逢坂山トンネルが開業した1921年(大正10年)に再び馬場駅に改称し旅客営業を停止。さらに1934年に膳所駅に改称し、旅客営業を再開しました。

1892-1910年の今昔マップ。

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1922-1923年の今昔マップ。膳所駅になる前、旅客営業をしてないころの地図ですね。

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京阪石場駅

石場駅にやってきました。このあたりは、東海道の大津宿から草津宿へ船で向かうときの船着き場でした。

草津宿の船着き場は矢橋というところだったので、この航路は「矢橋の渡し」と呼ばれ、京都に速く着く航路でした。ところが、琵琶湖には比叡山から吹き下ろす比叡おろしという強い風が吹き、航海には危険も伴いました。そんな危ないところを通るくらいなら、多少遠回りして橋を渡っていけばよいじゃないか…ということで生まれたのがあの諺、「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」です。石場の船着き場にある常夜灯は、現在もびわ湖ホールの裏側で見ることができます。

草津側はブラふとん草津で行きましたね!いやあいろんな知識がつながるなあ。

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ちなみに石場駅を含む大津石山あたりも、以前にブラふとんしています。

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閑話休題石場駅前に古いレールをつかった駐輪場がありました。この古レール、年号が刻まれていておそらく官設鉄道時代のものと思われます。…が、写真に撮ってもよくわかりませんでした。(´・ω・`)

国鉄大津線(現・京阪石山坂本線)

石場駅から浜大津駅(初代大津駅)までてくてく歩きます。めっちゃ暑かった。

1913(大正2)年、大津電車軌道の大津〜膳所が開業しました。現在の京阪石山坂本線浜大津膳所本町です。この大津電車軌道、なんと大津〜馬場間は官設鉄道に乗り入れていました。

ここで疑問が生じます。官設鉄道つまり現在のJRは狭軌(レールの幅が1067mm)なのに対し、京阪は標準軌(1435mm)。どうやって乗り入れていたのかと言うと…

参加者の少年「三線軌条ですね。それしかありえない

謎の少年が自信げに答えていました。将来有望だな。三線軌条といって線路を3本引いて、それぞれの列車が走れるようになっていました。この線区には官設鉄道、大津電車軌道、そして後述する江若鉄道も乗り入れていました。賑わってますな。

舟入橋

舟入橋梁には鉄道省の文字が残されていました。今は京阪の線路ですが、鉄道省時代に造られたものを未だに使っているのです。案内人の方が「これはもっと評価されるべき」とおっしゃっていたのが印象的でした。

このへんの話は京阪のウェブサイトにわかりやすく載っていましたのでぜひ御覧ください。

www.okeihan.net

大津線があったころは、湖岸が埋め立てられておらず、琵琶湖の湖岸沿いを走っていました。この埋め立ての様子については、ふれっしゅさんのブログが詳しいです。(というか詳しすぎる)。

fffw2.hateblo.jp

初代大津駅

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さて、びわ湖浜大津駅(初代大津駅)までやってきました。昔はここから太湖汽船が出港し、長浜まで結んでいましたが、明治22年東海道線全通をうけ閉業。現在はミシガンクルーズとして事業を継続しています。

時間がなくてあまり解説してもらえなかったのですが、初代大津駅は大津城跡に建てられたそうです。琵琶湖疏水は外堀に相当するらしい。下の写真は琵琶湖疏水の取水口。

江若鉄道廃線跡

ここで東海道線を辿る街歩きは終了なのですが、もう少し続きます。

江若鉄道は近江と若狭をつなぐことを目標に、1921(大正10)年に開業した鉄道です。ところが資金不足のため近江今津まで作ってギブアップ。1969年に鉄道事業を廃止し、鉄道用地は国鉄に買い上げられました。それが今の湖西線です。

現在の湖西線山科駅からトンネルを通ってそのまま大津京駅へ向かうのですが、江若鉄道膳所駅浜大津駅間を国鉄東海道本線貨物支線や京阪石山坂本線と共用していました。

浜大津駅から先は江若鉄道の線路が敷かれていました。廃線跡って細長い土地なのでなかなか活用しづらく、大津絵の道という遊歩道になっていました。

謎の少年「これはどう考えても廃線跡を感じずにいられない

ほんまに将来有望だな。

廃線跡の特徴は、面する建物に入り口がないこと。逆にいえば、入り口がついてる建物は廃線になってからの建築。

この橋も廃線跡にかかるもののようです。

Omi-Wakasaの「OW」をかたどった江若鉄道のマークが石に彫られていた。

江若鉄道はこのまま続いていくのですが、街歩きはここで終了しました。

 

最後に

東海道線の付替えというマニアックなテーマでしたが、大変楽しかった。 ややこしかったので記事作成にあたっていろんなことを調べ直したが、理解がより深まってよかった。

何か間違いがありましたらお気軽にご連絡ください。

マンホール

最後におまけ。今回収集したマンホールを貼っておきます。

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大津市の市章は、「大ツ」を図案化したもので「大」は鳥の飛躍を形作り、「ツ」は景勝「びわ湖」の展望を表すもので「大ツ」の文字は、国際文化観光都市の躍進発展を象徴しています*2。マンホールに書いてあるのは市章の下部を下水の「下」に変えたものですかね。

真ん中のマンホールは琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などがあしらわれており、詰め込みすぎ感がすごい。

左のマンホールは、「市の木(山桜)、市の花(叡山すみれ)、市の鳥(ゆりかもめ)」 を中心に、大津絵の「藤娘」と「鬼の寒念仏」を左右に、 下段に「びわ湖」と「瀬田の唐橋」をあらわしたもの*3